about BRUNO MUNARI

 
バイオグラフィー
ブルーノ・ムナーリってどんなひと?
生まれたのは1907年10月、生まれた場所はイタリア・ミラノ。亡くなったのは1998年9月。 若い頃イタリアの前衛芸術運動「未来派(後期)」と関わって「役に立たない機械」を発表します。ひとことでいうとモビールのような作品です。名前の付け方が秀逸です。 その後はアートの活動と絵本の発表と、空間デザイン(噴水とか)と、おもちゃと、工業デザイン(灰皿とか照明器具とか)と、こどもの為の教育活動と、実にいろいろな活動をして、それぞれの仕事で高い評価を得ています。 特に子供のための造形活動では、イタリア国内だけでなくアメリカや日本でもワークショップを開いています。(002)
ムナーリ自身が自らを説明して書いたフレーズがあります
1907年ミラノに生まれた人/1930年役に立たない機械を作った人/1945年こどものための新しい本を作った人/1945年「Ora X」を作った人/1947年知られざる人々の読めない文字を作った人/1949年「読めない本」を作った人/1950年「陰と陽」を描いた人/1951年 「ぎくしゃくした機械」を作った人/1952年偏光投影による作品を作った人/1954年水で遊ぶ噴水を作った人/1958年「ムナーリのフォーク」(も の言うフォーク)を作った人/1958年「旅行者の彫刻」を作った人/1959年「2000年の化石」を作った人/1961年連続する構造を作った人 /1964年ゼログラフィアを作った人/1966年「ご先祖様」を作った人/エイナウディ社のグラフィックデザインをした人/1971年「アビタコロ」を 作った人/ダネーゼ社の教育玩具を作った人/1976年目の見えない人への触れる手紙を作った人/1977年こどものワークショップを世界各国ではじめた 人/1964年伸び縮みする照明器具(ダネーゼ)を作った人/1967年アメリカ・ハーバード大で教えた人/黄金のコンパス賞(イタリア)とNYの科学ア カデミーに表彰された人/日本デザイン協会から表彰された人/優れたこどもの本の作者としてアンデルセン賞(イタリア)を受賞した人
(Quello nato a Milano nel 1907./ Quello delle Macchine inutili del 1930./ Quello dei nuovi libri per bambini del 1945./ Quello dell'Ora X del 1945./ Quello delle Scritture illeggibili di popoli sconosciuti del 1947./ Quello dei Libri illeggibili del 1949./ Quello delle Pitture negative-positive del 1950./ Quello delle Aritmie meccaniche del 1951./ Quello delle Proiezioni a luce polarizzata del 1952./ Quello delle fontane e giochi d'acqua del 1954./ Quello delle Forchette parlanti del 1958./ Quello delle Sculture da viaggio del 1958./ Quello dei Fossili del duemila del 1959./ Quello delle Strutture continue del 1961./ Quello delle Xerografie originali del 1964./ Quello degli Antenati del 1966./ Quello della grafica editoriale Einaudi./ Quello dell'Abitacolo del 1971./ Quello dei giochi didattici di Danese./ Quello dei Messaggi tattili per non vedenti del 1976. / Quello dei laboratori per bambini al museo del 1977 e di tutti gli altri laboratori in altri paesi. / Quello della Lampada di maglia del 1964./ Quello del corso di design alla Harvard University del 1967./ Quello premiato col Compasso d'Oro,con una menzione onorevole dell'Accademia delle Scienze di New York./ Quello premiato dalla Japan Design Foundation per l'intenso valore umano del suo design./ Quello del premio Andersen per il miglior autore per l'infanzia.) ... (200)
ブルーノ・ムナーリ(wikipedia-italia) https://it.wikipedia.org/wiki/Bruno_Munari
ミラノに生まれ、幼少期をBadia Polesineで過ごす。1925年エンジニアの叔父の元で働くためミラノに戻る。1927年マリネッティと未来派の活動へ近づき、彼らの展覧会に参加 するようになる。三年後Riccardo Castagnettiとスタジオを設立、共同で1938年までグラフィックデザインの仕事に関わる。1933年フランス・パリへの旅行中、Louis AragonとAndre' Burtonと会い、彼らから「役に立たない機械」の着想を得る。1939年から1945年までMondadori社(出版社)でグラフィックデザインの 仕事に従事し、アートディレクターとして雑誌Tempoなどの編集に関わし、同時に息子アルベルトのために考えた子供のための本(絵本)を作り始める。 1948年Gillo Dorfies、Gianni Monnet、Atanasio Soldati らとともにMovimentoArte Concreta(MAC)を結成する。
1960年代はしばしば日本へ旅行し、自然や相似性、住環境のデザインなど彼の興味と重なり合う要素から日本文化に親近感を深めた。
1977年こどもの世界への深い興味からミラノのブレラ美術館内に最初の子供のためのラボラトリーを作った。その後、極めて広い範囲の活動を世に知らしめつつ、91才で生地ミラノにて世を去る直前(数ヶ月前)まで作品を作り続けた。
Nato a Milano, Bruno Munari passo' l'infanzia e l'adolescenza a Badia Polesine. Nel 1925 torno' a Milano per lavorare con lo zio ingegnere. Nel 1927 comincio' a frequentare Marinetti e il movimento futurista, esponendo con loro in varie mostre. Tre anni dopo si associo' con Riccardo Castagnetti (Ricas), con cui lavoro' come grafico fino al 1938. Durante un viaggio a Parigi, nel 1933, incontro' Louis Aragon e Andr? Breton, che gli diedero l'idea delle "macchine inutili". Dal 1939 al 1945 lavoro' come grafico presso l'editore Mondadori, e come art director della rivista Tempo, cominciando contemporaneamente a scrivere libri per l'infanzia, inizialmente pensati per il figlio Alberto. Nel 1948, insieme a Gillo Dorfles, Gianni Monnet e Atanasio Soldati, fondo' il Movimento Arte Concreta.
Negli anni Sessanta divennero sempre piu' frequenti i viaggi in Giappone, verso la cui cultura Munari sentiva un'affinita' crescente, trovandovi precisi riscontri del suo interesse per la natura, la simmetria, il disegno delle abitazioni.
Nel 1977, a coronamento del dell'interesse costante verso il mondo dell'infanzia, cre? il primo laboratorio per bambini in un museo, presso la Pinacoteca di Brera a Milano. Dopo vari e importanti riconoscimenti in onore della sua attivita' vastissima, Munari realizzo' la sua ultima opera pochi mesi prima di morire a 91 anni nella sua citta' natale.
ムナーリ自らを語る
「1907年の10月のある朝、ぼくはミラノの都心にはだかで到着した。それまで、だれもそのことについて相談してくれなかったので、びっくりした。父は 給仕で、母は絹のせんすに刺繍するのが仕事だった。ぼくが6歳のとき、両親はヴェネト地方の大きな川のそばの小さな村に引越した。ぼくがデザイナーになっ たのは、この時代のことである。自分と仲間たちのおもちゃを設計した。 18歳の時、単身ミラノにもどり、後期未来派の人びとと近づきになり、ぼくの最初の「役にたたない機械」を展覧会に出品した。『ムナーリは、まじめに芸術 と取り組まないで、遊んでいる』と批評家が言いだし、今でもまだ、よくそういうふうに言われる。・・・」 ~日本語版の「木を描こう」(至光社刊)の中にあるムナーリ自身のバイオグラフィーです。ちなみに翻訳者は須賀敦子さん。(006)
ムナーリのふるさと
ムナーリが生まれたのはミラノですが、少年期を過ごしたのはバディア・ポレジーネ(Badia Polesine)という田舎だったそうです。ちょっと調べてみたところ、この町は北イタリアのミラノとベネチア(ベニス)の中間くらい、「ロミオとジュ リエット」の舞台となったヴェローナという町に近いようですね。ムナーリ自身が、自身のデザイナー、アーティストとしての教師は彼の地の自然環境だったと いう回想をどこかで語っていたと思います。ちなみにこのBadia Polesine、ムナーリの少年時代も、また現在も人口一万人ちょっとの小さな町です。...ムナーリが晩年の休暇を過ごした別荘はここにあるのでしょ うか?(→ムナーリの別荘はイタリアとスイスの境にあるchiassoにあったそうです)(196)
ムナーリと叙勲
イタリア語版ウィキペディアにムナーリの項があって、なかなか詳しいバイオグラフィーが書き込まれているのですが、ムナーリは1994年にイタリア共和国 政府から「大十字騎士勲章(Cavaliere di Gran Croce)」を受けているそうです。日本で言えば「勲○等」というところでしょうか。ちなみにイタリア語の「Cavaliere」は英語の 「Knight」ですから、考えようによっては「サー・ムナーリ」ということかも?ムナーリのウィキペディアはこちら →https://it.wikipedia.org/wiki/Bruno_Munari(179)
証言
ウンベルト・エーコ、ムナーリを語る
小説「バラの名前」でも有名なイタリアの記号論学者ウンベルト・エーコがムナーリについて語っていました。(ほんの短い文章なのですが、さすがエーコだけに文章がむずかしくて訳に自信がないですが・・・):
ムナーリが長年没頭してきた沢山の楽しみは、それ以外のことを言うきっかけとしても価値がある。これらの記号論的な悩みの種は感覚、例えば二つの同じよう な意味を持つ言葉のわずかな入れ替えによって生まれ、特にそのひらめきのような短さに特徴がある。
しかし彼の図像的なひらめきについて言いたいのだが、実は私(エーコ)はムナーリの図像について数年かけて本をまとめている。あるとき誰かの提案にそって 二つの図像を並べながらレイアウトの検討をしたとき、どうしても全体の調和がとれなくなった。そこへムナーリがやってきて、ほんのわずか、図像をミリ単位 で配置を変えてくれたところ、完璧な調和、図像のハーモニーが生まれたではないか。彼はページを繰りながら、まるでバイオリンの調律でもしているかのよう に。すべて最小限のバリエーションが彼の細い指が動くたびに生まれてゆくのだ。私はそれを感心して眺めながら、私にはとても学び得ないことだと思ったもの だ。
Tra i mille divertimenti di cui Munari ci e` stato prodigo in tanti anni, questi valgono come pretesto per dire altro. E` che questi Disturbi semantici si basano su un minimo spostamento di senso, per esempio tra i significati di due termini sinonimi, e soprattutto sulla loro brevita` fulminea. Ma vorrei dire della fulminea brevita` di Munari grafico, con cui ho lavorato per anni a impaginare libri alla Bompiani, Qualcuno proponeva uno schema, poniamo, una colonna larga tanto e due immagini a fianco. Non funzionava mai. Era stonato. Munari interveniva in un secondo, riduceva i margini di un millimetro, spostava di un altro millimetro una delle due immagini, ne rifilava di poco la seconda, ed era armonia perfetta, musica. Lavorava sulla pagina come se accordasse un violino. Era tutta questione di variazioni minime, millicron in millisecondi, mentre muoveva le sue dita sottili. Lo guardavo incantato, e capivo che non avrei imparato mai.(100)
コッライーニ、ムナーリを語る
ムナーリの絶版になっていた絵本などを復刻している、イタリアのコッライーニ社の創設者でもあるマウリツィオ氏とマルツィアさんが、ムナーリの展覧会 (2003年イタリアのチェゼーナという町で開催されました)に寄せて書いたひとことです。
『20年にわたるブルーノ・ムナーリ:20世紀の偉大な人物の一人との友情と仕事について語るのは、簡単なことではありません。かいつまんで語るなど不可 能...それとも...彼のやりかたのように、ものすごく簡単にできるかも。いくつかのすばらしい思い出:ほほえみや穏やかな人柄、彼の魔法を混ぜ合わせ てみると、ブルーノ・ムナーリは黄色い手品師/緑の手品師/すべての色の手品師で、なにもないところからなにかを作り出すことの出来る人でした。彼と一緒 に本を、ゲームを、展覧会を、夢やオブジェ、紙やひもやシャボン玉を作ることがなんと楽しかったことか。ありがとう、ブルーノ、ありがとう、ディルマ(ム ナーリ夫人)。』
...Scrivere di 20 anni di amicizia e lavoro con Bruno Munari, un personaggio tra i grandi del Novecento, non e' certo facile, riassumere tutto e' mpossibile... oppure..., come sempre con lui, tutto puo' essere estremamente semplice. Rimescolando tra alcune delle sue piu' belle storie rimane in mano il sorriso, la serenita' la magia e allora: Bruno Munari e' l "prestigiatore giallo", "il prestigiatore verde", il prestigiatore di tutti i colori che sa inventare le cose dal niente e con il quale abbiamo la gioia di costruire libri, giochi, mostre, sogni, oggetti, fogli, fili e leggerissime bolle di sapone. Grazie Bruno, grazie Dilma.(105)
カスティリオーニ、ムナーリを語る
イタリアを代表するプロダクトデザイン界の巨人、アッキーレ・カスティリオーニ(1918-2002)がチェゼーナでのムナーリ展に寄せて、ムナーリについて短いコメントを残しています。 「ブルーノ・ムナーリは/教師の/理解することの/どうやって教えるかの/誰に教えるかの/いつ教えるかの/どうやって教え続けるかの/天才だった!」 "Bruno, quasi una lettera. di Achille Castiglioni: Bnuno Munaril il piu' bravo/insegnante/che ha capito/come insegnare, /a chi insegnare./quando insegnare,/e come continuare/a insegnare/ Bravissimo!"(119)
メンディーニ、ムナーリを語る
1980年代~90年代のイタリアのモダンデザインに興味のある人ならご存じだと思いますが、アレッサンドロ・メンディーニという人がいます。「アルキミ ア」「メンフィス」といった80年代に世界中の注目を集めたポストモダンデザインの理論的なリーダーの一人ですが、ムナーリについて面白いことを言ってい ました。「ブルーノ・ムナーリは、彼の灰皿(ダネーゼ)を見れば分かるとおり最高に創造的な素材のあつかいを知っている、言ってみればデザインのファンタ ジスタだ。が、ムナーリが何者なのか語るのはなかなか難しい。逆にムナーリは何でないのか、考えてみよう。デザイナーでなく、画家でなく、グラフィックデ ザイナーでなく、ポスターデザイナーでなく、装飾家でなく、ファッションデザイナーでなく、エッセイストでなく、教師でなく、彫刻家でなく、写真家でな く、映画監督でなく、詩人でなく、学者でなく、こどもでなく、大人でなく、老人でなく、若者でもない。...」 Bruno Munari ovvero l'apolide fantasista del design, il triplo concentrato di materia cerebrale creativa, il posacenere-capolavoro. Ma e' difficile dire che cosa e' Munari. Meglio aggirare l'ostacolo e dire cosa egli "non e'. Munari, allora, non e' un designer, non un pittore, non un grafico, non un cartellonista, non un vetrinista, non uno stilista, non un saggista, non un insegnante, non uno scultore, non un fotografo, non un regista, non un poeta, non un semiologo, non un bambino, non un adulto, non un vecchio, non un giovane. ...(127)
パブロ・ピカソ、ムナーリを語る
出典が定かではないのですが、海外のサイトを検索しているとあちこちに「ピカソはムナーリを現代のレオナルド・ダ・ヴィンチと呼んだ」とあります。 ...Bruno Munari was a Futurist, philosopher and humanist who Picasso called “the Leonardo of the 20th century.” 同時代を生きた芸術家として何らかの交流があったことでしょうが、具体的にムナーリとピカソの交流がどのようなものだったのでしょうか。(135)
交流
ムナーリと瀧口修造 (1)
1965年に日本で初めて開かれたブルーノ・ムナーリ展の開催に尽力したのは瀧口修造でした。瀧口は1903年生まれ、詩人西脇順三郎の影響を受けなが ら、まず詩人として、そして美術評論家として戦前戦後の前衛芸術全般に関わった人です(1979年没)。ムナーリのほかにもアンドレ・ブルトン、マン・レ イらと親しく交流して作品を共作したり、自身も自動筆記などの手法でアートワークを残していますから、ムナーリと興味・活動の仕方が似ていたのではないか と思います。日本で発行されたムナーリの本の巻頭にムナーリ自身「瀧口の思い出に」と献辞を記していますから、二人の芸術家の間に深い友情があったことと 想像できます。(036)
ムナーリと瀧口修造(2)
日本にはじめてムナーリを紹介した瀧口修造と、ムナーリとの出会いは1958年にさかのぼるそうです。このとき、現代美術の世界的に重要なイベントである ベネチア・ビエンナーレに日本代表兼審査員として参加した瀧口はアンドレ・ブルトンやブルーノ・ムナーリと親交を深めました。戦前から活動していた洋画家 (シュルレアリスト)の福沢一郎、当時新進の評論家だった東野芳明らも同行の旅だったようです。瀧口はイタリアを皮切りに4ヶ月半を費やしてヨーロッパ各 地を旅行し、ミラノではムナーリからエンツォ・マリ(当時出たてのデザイナーだった)について(おそらくダネーゼの話も出たことでしょう)聞いたと本人の 日誌に記されていました。(131)

ムナーリと柳宗理 (1)
日本の偉大なデザイナー、柳宗理(1915-)はムナーリと接点がなかったのでしょうか?
柳宗理がコルビュジェのパートナーだったシャルロット・ペリアンに師事したことはよく知られていますが、柳自身現代芸術や音楽に深い興味を持っていた(宗 理の母、柳兼子は日本の声楽家の草分け)ことは意外に知られていないような気がします。共通点の少なくない二人ですが、過去の資料を調べると少なくとも一 度、1960年に日本で開かれたデザイン会議で二人は顔を合わせているようです。
紫牟田伸子さんの書かれた記述によると「(世界デザイン会議 は)1960年5月7日から16日まで、27カ国、二百数十名のデザイナー、建築家を集めて東京・産経ホールなどで開催された。勝見勝、坂倉準三、柳宗 理、亀倉雄策、丹下健三らが中心となり、デザインの分野の違いを超えて討論を行ない、世界のデザイン界との国際交流の場を生み出そうという意図から開催さ れた大規模な会議。グラフィック、インダストリアル、環境の三分野に分かれて討議が進められた。建築、グラフィック、インダストリアル、クラフト、インテ リアの各分野のデザイナーたちが分野を超えた横の繋がりと国際的な繋がりをもつ初めての機会であり、日本のデザインを海外に知らしめる威信をかけたイヴェ ントでもあった。ハーバート・バイヤー、オトル・アイヒャー、ソール・バス、ブルーノ・ムナーリ、ルイス・カーンら巨匠たちが来日...」とあります。 (130)

ムナーリと柳宗理(2)
日本の偉大な工業デザイナー柳宗理とムナーリの接点から、1960年東京で開催された「世界デザイン会議」について紹介しましたが、たまたま柳工業デザイ ン研究会(柳宗理スタジオ)の方から、「瀧口修造の展覧会の準備をしていた富山の学芸員の方が以前訪ねてきて、ムナーリから瀧口にあてた手紙の中で『柳は 元気か』と尋ねているものがあるという話を聞いた」と教えてもらいました。(143)
ムナーリと武満徹(1)
先日ブルーノ・ムナーリのインタビュー映像を見たとき、ムナーリ自身が「自分のワークショップで音楽をかけるとしたら?友人のタケミツの曲をかけた い...」と言っているのを聞いて、「きっと瀧口修造を通じて知り合ったのだろう」と思っていたのですが、ちょっと調べてみたところ、武満の作品に 「munari by munari」という打楽器曲がありました。ムナーリからプレゼントされた「読めない本」に想を得て書かれた曲とのこと。「作曲:1971年(72年改 訂)、編成:perc(s)(演奏時間:不確定)、初演:1971年10月28日 パリ「現代音楽の日々・武満徹の音楽」、初演者:ツトム・ヤマシタ、 ジェラール・フレミイ(pf)」「楽譜は一辺が23センチメートル余りのほぼ正方形の薄い本で、赤茶白黒の形も大きさも異なる紙片が綴じ込まれている。赤 と茶の紙には曲線的な切り抜きがあり、赤は「速く」、茶は「遅く」を意味する。白い紙には“Rubinstrument”“Breathe the bells as wind”といった謎めいた言葉が、また黒い紙には五線に音が書かれている。」とあります。ちなみにCDはポリドールから(POCG-3656)出ている ようです。(130)
ムナーリと武満徹(2)
「芸術新潮」2006年5月号の特集が「はじめての武満徹」というテーマですが、この中にムナーリが贈った「読めない本」やそれに触発されて武満が作曲し た「ムナーリ・バイ・ムナーリ」の楽譜(オブジェ)などが紹介されています。(201)
レオ・レオニ
未来派についてちょっと調べものをしていたのですが、「スイミー」などで世界的に有名な絵本作家レオ・レオニ(Leo Lionni)は未来派の一員だったのですね。恥ずかしながら知りませんでしたが、子供の頃からレオ・レオニの絵本は大好きでした。とくに「フレデリッ ク」が好きなのですが、いま我が家には小さな息子のために「あおくんときいろちゃん」が本棚に収まっています。
レオ・レオニは1910年オランダ生まれ、ヨーロッパの大戦を避けアメリカに亡命してグラフィックデザイナーとして活躍し、戦後はアメリカとイタリアを往復していたそうです。1981年には来日も。ムナーリと相次ぐように1999年に没。
未来派時代にレオ・レオニとムナーリとは交流があったものの、生前の両人にインタビューした人によると「仲の良い間柄ではなかった」とか。(095)
ブルーノ・ムナーリ協会
いろいろなサイトを見ているうちに「ブルーノ・ムナーリ協会」のサイトを発見しました。googleで「munari」といれてもヒットしなかったのに? https://www.brunomunari.it/ 英語とイタリア語の内容ですが、ざっと見たところ、この組織は先日来ご紹介しているベバさんの関わる「ムナーリ・メソッド」(創造的児童教育)の普及活動をしている団体のようです。(088)
アルベルト・ムナーリ
先日ご紹介した「ブルーノ・ムナーリ協会(Associazione Bruno Munari)」はどうやらブルーノの子息、アルベルト氏が関わっているようですね。ちょっと調べてみたところ、アルベルト氏は1940年生まれ、心理学 者でスイス・ジュネーブの大学教授だそうです。見つけたプロフィールのサイトがフランス語なのでよく分かりませんが、教育心理の専門家のようです。別のサ イトではアルベルトとブルーノのムナーリ親子による対談もありましたので、内容をちゃんと読んだらご紹介したいと思います。(091)
ベバ・レステッリ
2005年の青山こどもの城でのレクチャーをおこなった、ベバ・レステッリという人はどんな人なのか調べてみました(レクチャー資料にも紹介されていま す)。ベバさんはミラノ生まれ、ミラノのカトリック大学を卒業し、同時にインテリアや美術についても学んだ人で、1980年からブルーノ・ムナーリのこど もの造形教育活動に携わるようになりました。同時に彼女はムナーリ・メソッド(名称登録されています!)による創造的教育活動の普及を目的としたラボラト リーを立ち上げ、現在までその中心的な存在として活動を続けています。Bandera per l'Arte という上記のラボを母体とした組織の代表でもあり、またムナーリの子息アルベルト氏とも交流があるとのこと。イタリア語テキストによるベバさんの紹介は https://www.fondazionebandera.it/beba.htm
岩崎清
2005年のムナーリ展では20年前東京青山・こどもの城へムナーリ本人を呼んだ岩崎清さん(元こどもの城造形事業部・現日本ブルーノ・ムナーリ協会代 表)による、少人数の参加者へざっくばらんな雰囲気でのトークがあり、ムナーリが作った本をテーマにいろいろな話を聞くことが出来ました。
オリジナルの絵本と復刻された本のどこが違うか、日本と海外の版権のことなどからムナーリの芸術活動と子供への教育活動の関係など、本の事以外にも面白いエピソードなどが飛び出しました。
岩崎さんはその昔、美術出版社でムナーリの「円」「正方形」の邦訳出版に関わられたそうで、その後こどもの城でムナーリのこどものワークショップ活動を日本へ紹介した方です。
ちなみに肩書きにある「日本ブルーノ・ムナーリ協会」の会員は岩崎さん一人だけ、だそうです…。(092)
発言・思想
単純にすることは難しい
(ものごとを)複雑にすることは簡単だ。単純にすることは難しい。
複雑にするには、ただ好きなものを付け足していけば良い:色、形、動き、装飾、いろいろなものに満ちた環境。だれでも(ものごとを)複雑にする才能を持っている。
ほんの少しの人だけが(ものごとを)単純にする才能に恵まれている。 単純にするためには(なにかを)取り去らなければならず、取り去るためには何を取り去ればよいか理解しなければならない。
(中略) また、人々は単純さや本質的なものごとに出会ったとき、思わず「これなら私だって出来る」と言ってしまう。それは、もはやそれを「あたりまえ」に感じてし まうために、単純なものごとに正しい価値を与えることができない人々の反応でもある。
本当のところ、人々がそのせりふを口にするとき、それは「私にも真似できる」か「やろうと思った(がやらなかった)」という意味でしかない。(011)
現実においてただ一つ不変のもの
「現実においてただ一つ不変のものとは、変化することだ」("L'unica costante della realta` e` la mutazione")とムナーリは語っています。変化し続けることが自然の摂理であり、それをいかに受け入れながら豊かに生きるべきか。「残念なこと に、多くの人は上手に年をとると言うことができないでいる。少しでも若く見られようと振る舞うことは無意味なのに。90歳になってもなお闊達に生きた建築 家ル・コルビュジェや画家ティツィアーノのように生きることだってできる筈なのに」「問題は現実とは変化し続けること。現実とともに自分も変化し続けるこ とができれば・・・」(055)

芸術を理解するには
「芸術作品を理解するときの最大の障害は、分かりたいという「欲求」
である」
il piu' gramde ostacolo alla conprensione di un' opera d'arte e' quello di "voler" capire.(075)

芸術と機械
「沢山の視覚芸術に関わる人たち、画家、イラストレーターたちは機械をおそれている。機械のことは聞きたくも話したくもないくらいに。彼らは機械がいずれ 芸術作品を生み出すようになり、そして人間の芸術家は失業すると信じているんだ。美術評論家も最近有名新聞の紙上でこんなことを書いていた:機械の芸術な んてあり得るか? この言葉が表しているのは、ただ問題の本質を無視しようとしているということにすぎないし、つまり絵筆(とかエンピツ)の芸術なんてあり得るか?と言って いるのと変わらない。古き良き文化をコピーしながら現代を無視する状況をいまここで目の当たりにするのは悲しいことだ」
20世紀初頭に機械を積極的に肯定した、未来派に関わったムナーリらしい批評だと思います。 創造に新たな要素を恐れてはいけない、そういう気持ちの大切さでしょうか。
("Molti artisti di arti visuali, pittori, disegnatori ecc., hanno il terrore delle macchine. Non ne vogliono nemmeno sentir parlare. Credono infatti che le macchine un bel giorno potranno fare delle opere d'arte, e si sentono gia` disoccupati. Anche un celebre critico qualche tempo fa a proposito di arte programmata ha scritto su un grosso quotidiano italiano questo grande interrogativo: avremo l'arte delle macchine? Frase che denota solo l'ignoranza del problema, poiche´ e` come dire avremo l'arte del pennello - o della matita - effettivamente triste vedere una buona cultura classica accoppiata a una completa ignoranza della cultura moderna, di oggi, adesso, qui."(094)
バランス
昼と夜のように/ 規則と偶然は二つのコントラスト/ 光と暗闇のように/ 暖かさと寒さのように/ 陰と陽のように/ 男性と女性のように/ 規則は安心を与えてくれる/ 偶然は予想外で/ 規則的なら計画的であり/ 偶然はその時次第/ 雨のしずく/ 小石のかたち/ 親しげな気持ち/ 規則だけではモノトーン/ 偶然だけでは落ち着かない/ 規則と偶然のコンビネーション/ それが人生、それが芸術、想像力、バランス
Come il giorno e la notte/ la regola e il caso sono due contrari/ come la luce e il buio/ come il caldo e il freddo/ come i negativi e i positivi/ come il maschile e il femmnile./ La regola da` sicurezza/ il caso e` l'imprevisto/ con la regola si puo` organizzare un piano/ il caso dipende dal momento/ le gocce della pioggia/ la forma di un sasso/ la simpatia./ La regola da sola e` monotona / il caso da solo rende inquieti./ La combinazione tra regola e caso / e` la vita e` l'arte e` la fantasia l'equilibrio.(096)
ムナーリ、こどもを語る
「子供たちのことを理解するのは、猫を理解するのに似ている。猫が好きでない人には猫は理解できない。いつでも口うるさく、しかめっ面でぴーちくぱーちく と変な言葉遣いをして子供を怖がらせながら命令する気むずかし屋のオバさんがいるものだ。子供たちはこういう人を実に辛辣に、無駄に年老いてしまった見本 のように見ている。(子供たちはそういう大人が)何をしたいのかなんてちっともわからないので、自分たちのシンプルで真剣なあそびの世界へさっさと戻って しまうのだ」 "
Conoscere i bambini e` come conoscere i gatti. Chi non ama i gatti non ama i bambini e non li capisce. C'e` sempre qualche vecchia signora che affronta i bambini facendo delle smorfie da far paura e dicendo delle stupidaggini con un linguaggio informale pieno di cicci e di cocco e di piciupaciu`. Di solito i bambini guardano con molta severita` queste persone che sono invecchiate invano; non capiscono cosa vogliono e tornano ai loro giochi, giochi semplici e molto seri"(109)
無成
「日本語でムナーリとは、『無から成る』(無成)という意味」
" Mu-nari in giapponese, vuol dire fare da nulla."(110)
創造的なこども
”こどもの心を保ち続けると言うことは、好奇心と知る、理解する、だれかとなにかを伝えあうことを楽しむ心を保つと言うこと” ”今日のこどもたちは明日 (未来)の大人たちです/彼らがステレオタイプな人生から自由に生きられるように助けよう/彼らの感覚が成長するのを助けよう/より感受性の豊かな人間に なれるよう助けよう/創造的なこどもは幸せなこどもだから”
"Conservare l'infanzia dentro di se' per tutta la vita, vuol dire conservare la curiosita' di conoscere, il piacere di capire, la voglia di comunicare " "I bambini di oggi sono gli adulti di domani/ aiutiamoli a crescere liberi da stereotipi/ aiutiamoli a sviluppare tutti i sensi/ aiutiamoli a diventare piu' sensibili/ un bambino creativo e' un bambino piu' felice. "(116)
理屈ではなく
1+1=2/感情は計算から遠いところにある/黄色+青=何百通りの緑/理屈は芸術から遠いところにある
1+1=2/lomtano e' il sentimento/dal calcolo/giallo+blu=centinaia di verde/lontana e' la ragione/dall'arte"(140)
アートと感覚
あらゆる(表現の)方法にはその限界がある/音楽は目に見えない/絵画は口がきけない/彫刻は身動きできない/ところが抜け目のない詐欺師たちが/あたか も本当のように言うことには/絵画が音を奏でるべく力を尽くしていると/彫刻は動きたがっていると/音楽は.../何百年もそんな軽業が繰り返された後 /人々はいつのまにか/絵画に音楽を求め/音楽に色を求め/彫刻に動きを求めるようになったとさ/(162)
中国のことわざ
ムナーリがこどもたちのための造形ワークショップ「アートと遊ぼう(giocare con l'arte)」をおこなっている時にこんな「中国のことわざ」を引用したそうです。
「聞いたことは、忘れる/見たものは、覚えられる/やったことは、理解できる」(Se ascolto dimentico / Se vedo ricordo / Se faccio capisco)
これはもしかすると、「百聞は一見にしかず」のことでしょうか?(178)
芸術を理解すること
「芸術を理解することは、自転車の乗り方を覚えるのに似ている。(習得に)必要なものは理由ではなく感覚なのだ」Capire l'arte e' come imparare ad andare in bicicletta. si usano i sensi non la ragione.(186)
ムナーリと政治
ムナーリが1986年に受けたインタビューの中から一節をご紹介します。
<質問>あなたの近著に書かれている紀元前4世紀の老子の言葉「横奪されることのない生産、租税をかけられることのない労働、蹂躙されることのない進歩」 から、またあなたのこれまでの文化と芸術に関する作品から、政治に対する極めて現代的なメッセージが組み立てられるのではないかと思います。あなたは芸術 と政治的な意識をつなぐものは存在すると思いますか?
<ムナーリ>政治とはマニフェスト(意思表明・アピール)より実際の行動によって出来ていると思います。 真の問題は、人々が自分たち以外の人たち、実際には十分な創造性をもち自分たちで問題に向き合う力を持っている筈の人たちの問題を解決することに慣れてい ない点についてどのように意志を決断すべきか、です。 政治的な意識について考えれば、(我々は)「望まれない生き方をする人々」、良くないことをして生きる人々の社会に生きているという自覚が必要です。なぜ なら個人主義はずるさや搾取、真面目で正直な人々の人生をねじまげてしまう不愉快な事がらを覆い隠してしまうから。 となれば、政治的な問題とは(これから)作られるべき新しい社会について考えることではないでしょうか?
...ムナーリは続いて、「新しい社会」とは「こどもたち」のことだと語っています。ムナーリの社会に対する一種の絶望と希望を感じさせる言葉です。
< Domanda> Ho letto nel suo ultimo libro una citazione di Lao Tze “produzione senza appropriazione, azione senza imposizione di se', sviluppo senza sopraffazione” e penso che questa frase del IV secolo A.C., oltre a riassumere le linee della sua opera culturale ed artistica, possa costituire un manifesto politico molto attuale. Esistono nessi tra l'arte e la sua coscienza politica?
< Munari> Penso che la politica si faccia con l’azione piu' che con le manifestazioni. Il problema vero e' quello di far si' che la gente venga disabituata a farsi risolvere problemi dagli altri, ma che la loro creativita' sia cosi' sviluppata che da sola possa affrontare i propri problemi. Per coscienza politica intendo la consapevolezza di essere in una societa' di “malviventi”, cioe' di persone che vivono male, che sono individualisti, perche' e' dall’individualismo che nascono la furberia e lo sfruttamento, tutte cose sgradevoli che rendono la vita impossibile anche alle persone serie, leali e oneste; allora il problema politico e' quello di occuparsi della nuova societa' che sostituira' questa(191)
ムナーリと教育
アートで遊ぶラボラトリー
以前ご紹介したムナーリのワークショップについての講演集をまとめたイタリア・ファエンツァのラボ(実験室/ワークショップ)の記述によると、ムナーリは 「人はそれぞれ自分の知っている:出来ることをする。また創造性や想像力は記憶と密接な関係があるが、さて子供たちがより多くのことを覚えられるようにす るにはどうすればいいか?知識の広がりはクリエイティブな学習に大きな影響を受けることが知られているが、ならば遊びこそ記憶を豊かに育てる良い条件にな るのではないだろうか」("...Se siamo d'accordo che ognuno fa quello che sa, e che la fantasia e la creativita` operano sulla memoria, il problema che segue e` come il far memorizzare ai bambini il massimo dei dati, visto che l'allargamento della conoscenza favorisce le facolta` creative. Pare che il gioco sia la condizione ottimale per memorizzare qualcosa...".)と語り、実際に子供たちのための創造的なワークショップを始めました。
私たち(特に日本人、特に大人)は「遊ぶ」と「学ぶ」を反対語のように考えてしまいがちですが、これは「遊び」を創造的でなく、俗な欲求を満たす行為と勘 違いしているからかもしれません。創造的なことをするのが「遊び」なら、(本物の)デザイナーは「遊び人」ですね。(071)
国立ブルーノ・ムナーリ美術学校
北イタリアにブルーノ・ムナーリの名を冠した美術学校があります。ヴェネチアの北50キロに位置するヴィットリオ・ヴェネトという町の「国立ブルーノ・ムナーリ美術学校」です。
工芸から版画、染織、デザイン、ファッションなどのコースがあるようです。写真を見ると風光明媚な?環境ですね。学校のサイトからムナーリに関する資料もいくつか閲覧することが出来るようになっていました(イタリア語)。 https://www.isamunari.it/mambo2/templates/munari/index.html(093)

ブルーノ・ムナーリ高等学校
以前イタリア北部のヴィットリオ・ヴェネトという町にムナーリの名がついた美術学校があるとご紹介しましたが、その他にも、クレモナという町に「ブルーノ・ムナーリ高等美術学校(liceo artistico Bruno Munari, Cremona)」というのがあるそうです。
クレモナというのはストラディヴァリのバイオリンで有名なイタリア中北部(ミラノの南)です。liceoというのはフランスのリセのような高校ですが、イ タリアでは高校進学時に専攻分野を選ぶようになっているので、美術系高校というところでしょうか。いったいどんな授業をしているのでしょう...。
ウェブサイトはこちら(イタリア語)https://www.artisticomunari.it/(165)

ムナーリとハーバード大学
1967年、ムナーリはアメリカのハーバード大学へ招かれてビジュアルコミュニケーションとデザインの授業をおこなっています。授業の詳しい資料は見つけ ていないのですが、あるときムナーリはボストン(ハーバード大学がある町ですね)のディスコに学生と一緒に招待されたそうで、その時の思い出を「デザイン と視覚コミュニケーション」(Design e Comunicazione visiva)という本の中で語っているそうです。(174)
ムナーリの小包
ムナーリがこどものためのワークショップでおこなった「プレゼントを作ろう」というテーマの作品のひとつです。タイトルが「マルコへ、ピーター、マリアテ レーザへ(いずれも名前)」という、そのまま「○○ちゃんへ」という雰囲気ですが、ワークショップのテーマはいかにいろいろな素材で素敵なオリジナルパッ ケージを作るかということですね。家の引き出しの中に眠っていそうな雑多な紐やリボンで面白い作品が作れる、という新鮮さに惹かれます。(177)
「目の見えない子供へのメッセージ」
「触ってみようの実験室」(lavoratori tattili)のプログラムの中に「触ってみようの手紙」とでも言えるような触覚を喚起するオブジェを作るアイディアがあります。ムナーリのスケッチに よると、天井から下がった紐にさまざまな触感の素材が、作り手のメッセージにそって組み合わされ、それを触ってどんなメッセージを受け取ることが出来るだ ろう、というもののようです。このワークショップはイタリアではベバ・レステッリさんたちが引き継いで現在も展開しているようですし、昨年末東京で開かれ たブルーノ・ムナーリ展のワークショップでも見ることが出来ました。(189)
触ってみようのワークショップ
ムナーリが始めた「触覚のワークショップ」は現在もいくつかの形で受け継がれているようです。同じくすでにご紹介した「国立ブルーノ・ムナーリ美術学校」 では素材を触覚からとらえた作品作りのコースがあるようですし、ミラノでムナーリのワークショップを受け継いでいるベバ・レステッリさんも同じく「触って みようの実験室」を定期的に開催しているようです。ムナーリの仕事をなぞるのではなく、ムナーリの発想を受け継いで発展させていく活動こそもっともムナー リの望んだところではないかと思います。(181)
資料
ムナーリ展のカタログ(1)
日本で最初のムナーリの展覧会は、シュルレアリスト・瀧口修造の尽力により1965年新宿・伊勢丹でひらかれたものだと思います。以来なんどか日本でも大 きな展覧会が開かれてきたようですが、比較的最近のムナーリ展で、カタログがまだ手に入るものがありました。南諏訪にある小海町高原美術館での企画展 (2001)です。
ちなみに小海町高原美術館の建物は安藤忠雄設計、ちょっと不便なリゾート地にひっそり建っていますが、面白いところです。詳しくは https://www.koumi-town.jp/museum/ まで。
なおカタログは1,200円、郵便での購入もできるそうです。(013)
ムナーリ展のカタログ(2)
大学の図書館で見つけてきた、イタリアのエレクタ社から発行されたムナーリ展のカタログです。巻頭言によると、ムナーリの仕事を全体として集めた展覧会は イタリアでは1986年までなかったとムナーリ自身が語っていて、ちょっと意外でした。 それほど古い本ではないのですが、イタリアでもこのカタログを見かける機会がなかったので、絶版になっているのかもしれません。(014)

ムナーリ展のカタログ(3)
もう一冊、イタリアで編集されたムナーリについての本をご紹介します。1999年にイタリア・ミラノ家具見本市事務局が見本市の企画展覧会にあわせて発行 した「ブルーノ・ムナーリ」という本ですが、昨日ご紹介した本とも重複する形でムナーリの数々の仕事を紹介・解説しています。ところどころにムナーリの語 録が挟まっていたり、しゃれた作りの一冊です。内容モノクロ、イタリア語版と英語版。お問い合わせはCOSMIT: Foro Buonaparte 65 20121 Milano Italy(081)

ムナーリ展のカタログ(4)
ブルーノ・ムナーリの最晩年にスイス・チューリッヒで開かれた大規模なムナーリ展のカタログです。カタログタイトルが「空気を見えるようにする」(Far vedere I'aria/Air made visible)というのが面白いですね。現在復刻された英語版などが輸入デザイン書籍として一部の本屋さんで手に入れることが出来ます。(141)
ムナーリ展のカタログ(5)
ブルーノ・ムナーリが日本で展覧会をおこなったのは1965年が最初ですが、その後1985年青山こどもの城での展示などを経て、晩年にも1995年銀座 グラフィックギャラリーで文字の展覧会を開きました。「木」という漢字をモチーフにした書(カリグラフィー)を中心に代表的な作品を集めた展覧会だったよ うです。このときの展示をもとに作られたのが、日本でも数少ないムナーリの作品集(世界のグラフィックデザイン第17巻)で現在も本屋さんで手に入れるこ とが出来ます。(145)
ムナーリ展のカタログ(6)
2000年にイタリア中北部のレッジォ・エミリア市で開かれたムナーリの展覧会のために編まれたムナーリについての本だそうです。現物を手にしたことはあ りませんが、イタリアならまだ手にはいるかも?ちなみにレッジォ・エミリア市は近年、こどものための造形教育活動で世界的にも注目されている学校があると ころです。テキストはイタリア語で編者はAlberto Fiz.という人だそうです。 ("Omaggio a Bruno Munari" Mazzotta Editore 1999, 128p ISBN 88-202-1353-2)(161)
「prime idee」ムナーリ展のカタログ(7)
ムナーリに関する(主にムナーリ自身が関わった)書籍を集めた「I LIBRI」という便利な資料本がイタリアで出版されており、日本でも輸入書籍専門店などで手にはいるのですが、この本では1999年以降の紹介がありません。
ところがイタリア在住の日本人アーティストの方のウェブサイトから、2001年に興味深い本が出版されていることが分かりました。
「prime idee」(最初のアイディア)という題名のカタログで、ムナーリの絵本などの構想段階のスケッチが沢山納められているようです。日本でこの本を輸入して いるところはまだないのでしょうか...?発行しているのはトレントという北イタリアの町にあるギャラリーのようです。https://www.artecavalese.it/index2.htm ←サイトでも色々見られるようになっています。(195)
「ムナーリについて」という本
イタリアで発行された「ムナーリについて(Su Munari)」という本という本があります。「104の証言と152の書き下ろしによるムナーリ」という副題が付いていますが、ムナーリの仕事について 広範に紹介した内容で、なんと全ページカラー(テキストのみのページをのぞく)の一冊です。ただしテキストはイタリア語のみ。日本にも輸入されており、本 屋さんで見つけることが出来ます。テキストを読まなくても図版や写真だけでも楽しめるムナーリ百科的な良書ではないでしょうか。発行はAbitare Segesta Cataloghiというイタリアの代表的なデザイン誌「アビターレ」の別部門から、のようです。(080)
日本で最初の展覧会?
銀座グラフィックギャラリーから発行された(1995)ムナーリの作品集を見ていると、「1950年東京国立近代美術館で「偏光」を用いた映写シリーズ作 品の展覧会開催」とありました。このころすでにムナーリは日本と接点があったのでしょうか?これまでムナーリの日本での最初の展覧会は64年伊勢丹での個 展かと思っていましたが、いまのところ展覧会の実態も作品についても(制作時から考えておそらく「Proiezione diretta」でしょう)未確認です。(板橋区立美術館の調査では、可能性として、瀧口修造が「Proiezione diretta」を紹介する展示を行った、ということではないかとのこと)(193)
ムナーリについての本(1)
もうひとつムナーリの人と仕事を集めた本をご紹介します。マルコ・メネグッツォ著「ブルーノ・ムナーリ」(Laterza社)という本で、1993年に発 行されました。デザイナー叢書の一冊という扱いですが、イタリアでは現在も手に入ります。テキストはイタリア語のみなので、日本ではまず見かける機会があ りませんが、写真も沢山納められています。(082)
ムナーリについての本(カタログ?)(2)
これまでご紹介してきたムナーリの作品の引用元としても活用しているフェレッロ財団のムナーリに関するウェブページがあるのですが、ここに紹介されている 内容をまとめた本をムナーリコレクター?のデザイナー、浅野さんに見せて頂きました。浅野さんは生前のムナーリにミラノのスタジオで会ったことがあるとい う方です。日本ではほとんど本の形になったムナーリの紹介資料はありませんが、こうしてみるとさすがに本国イタリアではいろいろなかたちでムナーリの資料 が作られていることが分かります。ちなみにこのカタログ、コッライーニ社が関わっているようですがコッライーニのカタログには載っていません。(151)
ダネーゼの本
新生ダネーゼやコッライーニ社の商品を輸入しているクワノトレーディングが昨年、かつてダネーゼ(ブルーノ・ダネーゼが社長だった頃)がムナーリやエン ツォ・マリのデザインによって制作発売していた「こどものための知育玩具」について一冊の本にまとめていたそうです。クワノトレーディングの桑野さんには 一度コッライーニさんからご紹介いただいたことがありますが、このような貴重な資料を作っていたとは知りませんでした。手にはいるかどうか問い合わせてみ ようと思います。(166)
ムナーリの本を知る本
世の中には物好き?な人もいるもので、ムナーリが関わったブックリストをまとめて本にした人がいました。Giorgio Maffeiという美術評論の本を書いている人で、かなりのムナーリ研究家だと思われます。ムナーリのブックリストは「Bruno Munari i libri(ブルーノ・ムナーリ 本)」というそのままのタイトルで2002年に発行(Edizioni Sylvestre Bonnard)。中には1929年から1999年までの本が網羅されています。テキストはイタリア語ですが、読めなくてもブックリストとして見る分には 楽しいかも。日本でも輸入書を扱うウェブショップなどで購入することが出来ます。(104)
ムナーリについての本(3)
Aldo Tanchisという人がまとめたムナーリの本です。
「Bruno Munari: From Futurism To Post-Industrial Design」タイトルにもあるように、ムナーリのアーティストとしての活動からデザイナーとしての仕事まで幅広く取り上げている好資料ですが、国内の輸 入書関連書店などで見かける機会が殆んどありません。
判っている範囲では、武蔵野美術大学図書館に蔵書として保管されています。
アートとあそぼう
2006年に日本で発行されたムナーリの仕事に関する冊子です。2005年のこどもの城でのムナーリ展とその巡回展にあわせて、岩崎清さんが編集されたと のこと。ムナーリの日本来日時の写真や、こどもの城でのワークショップ、またムナーリの仕事全般について紹介された日本語資料としては貴重な一冊といえる でしょう。青山こどもの城、東京渋谷のギャラリーTOMで入手可能です。
ムナーリのビデオアーカイブ
インターネットでムナーリについて検索しているうちに、ムナーリが生まれ、暮らしたイタリア・ミラノの行政機関(文化関係部門)のサイトにムナーリのビデオがあるらしいと言うことが分かりました。「ミラノの人々(gente di Milano)」という、ミラノ在住の文化人にインタビューしたビデオアーカイブのようですが、その中にムナーリの記録が紹介されています。「ミラノの人々(gente di Milano)」のサイトはこちら(イタリア語) https://temi.provincia.milano.it/cultura/medialogo/gentedimilano_munari.html(072)
ムナーリの映像サイト
ムナーリのインタビュー動画がインターネット上で見られるページがありました。イタリア国営放送(RAI)の関連ページです。 https://www.italica.rai.it/index.php?categoria=arte&scheda=munari_real 動画は3本、どれも画像が小さい上に時間も短く、おまけにストリーミング映像ですが、生前のムナーリの声と動きを目にすることができるという点で貴重かもしれません。※2007年1月現在動画が見られないようです?(188)
ムナーリに関するインターネットサイト(1)
イタリア語とフランス語による、非常に充実した内容のサイトです。フラッシュを使ったページナビゲーションで楽しくムナーリの仕事について知ることが出来ます。
https://www.ldj.tm.fr/munari/
ムナーリに関するインターネットサイト(2)
ムナーリの作品について検索をしていたら「Bruno Munari.de/」というサイトがありました。テキストがドイツ語だけなのでよく分からないのですが2004年に開設されたサイトのようです。但し内 容はムナーリのバイオグラフィーページくらいのような...どなたかドイツ語の出来る方、教えて下さい... https://brunomunari.de/(199)
ムナーリに関するインターネットサイト(3)
武蔵野美術大学(ムサビ)の学生さん達が作ったムナーリについてのサイトです。日本でムナーリについての資料をまとめているところは少ないのですが、ムサビはムナーリの書籍類を初め多くの資料を収蔵しているとか。
ちなみにムナーリの作品収蔵については、青山こどもの城にもかなりのコレクションがあります。
https://www.musabi.ac.jp/library/muse/cybermuse/munari/01-j.html
ムナーリに関するインターネットサイト(4)
イタリア語のみですが、ムナーリの特に初期のアートワーク・デザインワークについて詳しい資料を紹介しているサイトです。
https://www.arengario.it/mostre/munari/munarfrm.htm